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きっかけ

都内にある大学付属病院に勤務しました。仕事内容は医療事務です。主に診療報酬作成、入院費の計算、自賠責保険の請求を行いました。医療事務という仕事は残業体質の強い仕事でした。

毎日、とても疲れていました。新卒の23歳の時に体調不良を感じました。電車に乗ると気分が悪くなる、とても疲れているのに眠ることができない、何をしていても憂鬱な気分になってしまいました。

当初は医療機関勤務ということで、普段から良くしてくださる内科医の先生に睡眠薬を処方してもらっていました。当初は薬の効果で睡眠することができました。しかし、効果は薄れていきました。

内科医に相談したところ「あなたは過労が原因で、精神科に通院しなければいけません」と言われたことがきっかけで、近所の心療内科に通院することになりました。この後、休職を経て、職場復帰したものの、退職をする運びとなってしまいました。

初めての躁転

体調の療養のために、しばらく安静している日々が続きました。何も生産性を生むことができず、苦しかった記憶は今でも残っています。若くて貴重な20代がこんな形で無意味に経過することは辛いことです。

焦りもあったのは事実だと思います。しかし、いきなり物凄いパワーが出てくるようになってきました。何でもできるようなテイク無双状態です。就活をし、縁もゆかりもない関西の会社で働く選択をしました。

入社した頃は元気もあり、行動的でした。そして半年間で数百万円を夜の街に注ぎ込んでいました。これは双極性障害の特徴である、ばかげた散財行為です。

このようにメンタルが上がり切ると、反動が酷く、もの凄いうつ状態になりました。この出来事がきっかけで私の主病名がうつ病から双極性障害になりました。

躁状態からの反動

気分の高揚感が大きいと、うつになってしまう時のダメージが大きなものになってしまいます。イメージとしては気分が上がった分、それ以上に気分が下がってしまいます。うつ状態でいる期間、深刻度が増します。私はこの状態の時に希死念慮という気持ちが湧いてきます。

希死念慮は難しい言葉です。どのような状態かというと、自身が生きていることに価値を見出すことができなくなってしまいます。自己破壊行為や自殺企図などの妄想をしてしまう方もいます。

私が20代の頃は、自身が何者かを理解することができない状態でした。また、心のどこかで私は障がいについて受け入れる気持ちがなかったことも事実です。障がいになってしまうと何か人生を諦めてしまうような気がしていました。

転機

30代に突入し、この病気に罹患している方と話をしてみたいと感じるようになりました。双極性障害の自助会があり、オンライン上でチャットを介して会話をする機会を得ることができました。

双極性障害に罹患している人は私だけではないと感じることができました。そして双極性障害で悩んでいる方々と悩みを共感できることはとても大きな出来事でした。その場で得たことは現在にも活きている部分が多いです。

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